コミュニケーション能力という現実

 元増田がどうかはともかくとして、id:aureliano:20081221:1229832078の主張をほうってくと、本当にコミュニケーション障害で苦しんでいる人がさらに生きにくくなるのではないかと危惧するので、反論を書いておく。

 まずは議論の対象である「コミュニケーション能力」というものをはっきり定義しておこう。「コミュニケーション能力」=コミュニケーションするための能力、であるとする。ではコミュニケーションとは何か。Gooの国語辞書に聞いてみる。

コミュニケーション 【communication】
人間が互いに意思・感情・思考を伝達し合うこと。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える身振り・表情・声などの手段によって行う。

 ざっと整理してみると以下のようになる。

  • 信号:言語的(言葉・文字)・非言語的(身振り・表情・声)
  • 媒介器官:視覚・聴覚
  • 情報:意思・感情・思考

 さらにこれを図として整理してみよう。

 右側の送り手が自分の内側にある意思・感情・思考という情報を伝達するために、言語的な信号である言語・文字および非言語的な信号である身振り・表情・声にその情報をいったん変換し表出する。これを左側の受け取り手は視覚もしくは聴覚で受信し、脳内でその信号を解釈し、送り手が送り出したと思われる意思・感情・思考に戻そうとする。

 これがコミュニケーションというプロセスである。このプロセスが正常に働くためには、送り手側の信号変換機能と、受け手側の信号解釈の機能が高度に連携できていなければならない。この図はまだ脳での機能まで踏み込んではいないが、受け手の視覚や聴覚に問題があってもコミュニケーションに非常な齟齬が生じる。コミュニケーションを成立させるためには、視覚や聴覚に障害に対してそれぞれ代替手段(点字、手話など)の提供や送り手側の気遣い(より丁寧に情報を補う必要がある)が必要であることに異論はないだろう。しかし、聴覚や視覚の障害ですらそれに対する無理解があり、さらに目に見えない内部的障害に対しては、世間の目はより冷たい。

 近年、自閉症失語症その他のコミュニケーション障害と脳の活動に関する研究から人間がどのように他者というものを理解しているかの理論化が進んできた。つまり、上図の送り手の変換部分や受け手の解釈部分について、脳内での処理システムが徐々に解明されつつある。例えば、自閉症については以下のような報告がある。

「神経学的報告からみた広汎性発達障害の特性」京都大学医学部保健学科 作業療法学専攻 教 授 十一 元三
第45回神戸バイオサイエンス研究会

 自閉症と診断された人の脳組織に関する最初の詳細な研究はアメリカから報告され、その後も少しずつ堅固な知見が積み重ねられていった。剖検研究の結果、自閉症の人たちに異変が見出されたのは、大脳辺縁系と関連する部位である。特に神経核扁桃体、古い皮質に属する海馬には全例で所見がみられ、それと関連する帯状回前部や視床下部(乳頭体など)にも高頻度に異変が発見された。それらはいずれも、低酸素などのように生後に被った影響とは考えがたい所見であり、神経組織の成熟停滞を示唆するものであった。一方、高次認知処理をつかさどる大脳の新皮質(高次感覚連合野)には異常がみられなかった。

 以上の所見は、次のように整理できる。すなわち、広汎性発達障害の人が持つ特徴は、高次認知機能の障害に端を発するのではなく、本能的・自動的な機能や感情と関連する機能の未分化に由来することになる。特に扁桃体は、集団あるいは対人行動にとって決定的役割を果たしており、情動、条件学習、馴化(馴れ)にとっても重要であることが知られてきた。また、所見のあった部位の影響が及ぶ機能まで考慮すると、注意、記憶、強迫(こだわり)、社会的判断など、いずれも広汎性発達障害の特徴と関連の深いものにおよぶ。

 また、同研究会では、アスペルガー症候群について他者の行動や表情を模倣し把握するための神経回路であるミラーニューロンの障害について示唆する結果なども報告されている。

 コミュニケーションに関わる脳機能は実際のところ非常に複雑であり、完全に解明されてはいないが、その一部に障害があるだけでも、コミュニケーションは非常に困難になる。例えば、アスペルガー症候群の人は、非言語的信号の解釈が非常に苦手であることが知られている。

 何らかの理由でミスをして、そのことに激怒している上司がいたとしよう。彼は顔を真っ赤にして震えながら、「なんでこんなミスをしたんだ!」と怒鳴るだろう。ここで、定型発達の(つまり発達障害のない)部下であれば、首をすくめ怯えながら「申し訳ありません、二度とこのようなことはいたしません」と平謝りに謝るだろう。なぜなら、ここで言葉の意味そのものは重要ではなく、上司が非言語的に表出している激怒した気持ちの慰撫の方が重要であることを彼は知っているからである。

 しかし、アスペルガー症候群の部下は、そのような非言語的信号を解釈できないため(困惑はするだろうが)、言語的信号である言葉の意味のみを受け取って、「なぜミスが生じたか」についてとうとうと説明を開始する。当然ながら、上司の怒りがおさまるわけはなく、むしろ「言い訳がましい」とさらに火に油を注ぐ結果になる。そして、当人としては「説明しろと言われたから説明したのに」とさらに困惑する結果に終わる。

 非言語的信号が理解できない相手に対しては、その非言語的信号を言語的信号に変換しなければ伝わらない。「私は今君のミスに対して激怒している。謝ることで気持ちを慰撫してもらわなければ収まらない。土下座して謝りたまえ」とまで言えば明確に伝わるだろう。しかし、非言語的信号のやりとりに慣れている人はこれを好まない。最近では空気が読めないやつ(KY)といよいよ排除される傾向にある。

 ちなみに、一般的に女性の方が非言語的信号のやりとりに慣れている傾向がある。このため明確には言語化せず非言語的信号を出して「察して欲しい」とすることが多い。このため非言語的信号のやりとりにあまり慣れてない男性は困惑することも多い。「喉が渇かない?」と尋ねつつ、はあとため息をついたりちょっと疲れた風情を出して実際は「私は歩きつかれてるの。ちょっと雰囲気のいいカフェかどこかでお茶がしたいわ」ということを暗に伝えていたりする。が、そこが読み取れない人はただ言葉の意味だけを解釈して「いや、乾いてない」と答えて相手の機嫌を損ねたりする。

 ともあれ、コミュニケーションを成立させるためには複雑な脳機能が相互に連携していなくてはならず、その一部でも欠けていたり発達が遅れていれば、コミュニケーション障害を起こす。もちろん、発達が遅れているだけの場合は訓練や時間が解決する場合もある。しかし、そのための補助(ソーシャルスキルレーニングなど)が必要であるし、本質的に欠けている場合は代替策(パターンで覚えるなど)が必要である。そうした配慮なしに、馬鹿にしたり努力が足りないとなじれば、「みんなにはできてるのになぜ僕にはできないのだろう」と悩み、欝などの二次障害を起こし、発達が阻害され社会性は悪化する。

 以上、長々と書いたが、「コミュニケーション能力」というものは処理機能という意味で存在すると主張する。そして、この処理機能は全ての人が同じく持っているわけではなく、ほとんど機能してないケースからすばらしく機能しているケースまで万遍なく分布していることを知っていただきたい。恵まれた側の人はその恵まれていることに気がつきもしないかもしれないが、恵まれなかった人を努力が足りないと言って切り捨てるようなことはしないで欲しい。

そうすれば、問題点がクリアになる。そして全ての問題がそうであるように、問題点をクリアにすることが、問題解決への第一歩だ。

 問題点が意思という部分ではなく、それでは解決できない(むしろ悪化する)ケースも多い。id:aureliano氏にはより根本的なところから問題点をクリアにしていただくことをお勧めしたい。