面白いなぁ

 忙しくしていたら、スレッヂウム! - FC2 BLOG パスワード認証の1階席が埋まってて、2階席にえっちらブクマ。別に1階でも2階でも3階でもいいんだけど。そして、ふと、40はニートの定義から外れるよ!と気がついたけど、追記する場所もないのでここにメモ。

 VIPの屑・死ね反応も面白いし、はてブのそうでもないよ反応も面白い。前者については、ごく一般的な素直な反応なんだろうな、と思うし、後者を見るにやはりちょっと斜め視点なんだろうと思う。私個人としては、この1が結果としてどういうことになったのかには興味がある。ニート(年齢定義的にはただの無職だが)を貫いてこの前向きさを維持できるのか、ある程度妥協しつつ働きに出るのか、報告が聞いてみたいところ。

 というか、娯楽も特になく質素に最低限の暮らしを生活保護でやっていきたい、というのにこれだけ反発食らう状況でベーシックインカム制度とかありえなくね、とは思った。

 反発自体は、ゲーム理論的にはある程度説明できる。協調(みんな我慢して働いていてそこそこの暮らしを享受できている)ところに裏切り者(働かないで同じくらいあるいはそれ以上の暮らしができる)がいて、その裏切り者が増えるとみんな働かなくなり、最終的にみんな暮らしがたちゆかなくなる。だから、裏切りに対してはペナルティを加えて、最大利益を得られる協調システムを維持すべきである、と。

 まあ、個人に能力差も技能差も欲求差もなければそういうモデルできれいに説明できるし、その究極は共産主義なんだろうとは思う。戦後の日本は共産主義国家に褒められるくらい共産主義国家と言われてたらしい。今でも日本は生まれつきの能力はほとんど差がなくて、環境やのちの努力が大いに影響するという考え方が強いけれど、そういう説明をしておくと協調型の社会が維持できるせいもあるんだろう。

 でも、みつごの魂百までというように、人間の好みや能力ってかなり遺伝子で決まってる。赤ん坊を数人観察すれば、もう生まれてしばらくしたら性格ってはっきり差が出る。本読むのが好き嫌い、体を動かすのが好き嫌い、人と話すのが好き嫌い。体の大きい小さい、運動神経のいい悪い、手先が器用不器用、顔のきれい不細工。単に事実として差がそこにあるのに「与えられた資質は同じ」と建前を掲げる。

 確かに、高度成長期のはじめ工業生産をおこなう人手を確保するにあたっては、それほど能力差というものが重視されなかったというのもあるのだろう。工場で単純労働に従事できればよく、従順でよく働き、交換も楽な部品として規格化されているほうが都合がよかった。産業を主導する経営者から見ても非常に望ましい労働力だったから、社会もそういう「勤勉な労働者」に価値を置くような教育をおこなってきた。

 でもまあ、まずそもそも、人間を部品化するのは無理があるよね、というのが一点。人間というのはもともと多様なのに無理に規格化すれば、どっか歪む。歪みに耐え続ければ鬱にもなるし壊れもするだろう。さらに壊れそうだから休んだり、壊れてしまった人間に対して追い打ちをかけてまで、システムを維持しようとする。

 私は人間というのは本来幸せになるために生まれてくるのであって、個人を不幸にしてしまうシステムというのは、そのシステム自体がどこかおかしいと思う。おかしいシステムは改善して、なるべく不幸を減らすべきだろう。

 なお、現実的にその戦略自体は経済的には成功を収めて、日本を世界1の経済大国まで押し上げはした。しかし今、その頂点に至って、今途方に暮れている。アメリカ型の大量生産大量消費とそれによる資金循環で支えられていた経済の限界、そしてその限界から目をそらすように実体から離れた金融市場を過熱させて崩壊させてしまったことによって、これまでのやり方ではやっていけなくなっている。

 という大所な話はちょっと発散しすぎるので、おいといて。

 結論としては、「効率を追求したあまりに、部分最適全体最適になってない余裕のない世界になってないかい?余裕・ゆとり・バッファはないとシステムクラッシュしちゃうからあったほうがいいんだよ」あたりに持っていきたいんだけど、真面目に書くとけっこう長くなりそう。

 コメントにあったディオゲネス (犬儒学派) - Wikipediaが面白かったのでメモ。