愚痴に対する正しい対応

 昔、家には祖母がいて、両親が共稼ぎだった私は特に幼児期は祖母に育てられました。この祖母が、愚痴の多い人で、何かと言うと死んだ祖父について愚痴をこぼしていました。祖母の言うには、その時代のよい会社(どこかの大きな商社)に勤めていたにも関わらず、その会社を飛び出して新しい仕事を始め、しかし、その仕事はうまくいかなかったので、5人の子供を抱えて艱難辛苦を舐めた、らしいです。

 いかにひどい目にあったかという愚痴を、子供だった自分はなるほどふうん、夫が働けなくなると大変だ、女性が普通に働ける時代になってよかったとかボケた感想を抱きながら聞いていました。あと、そんな夫なら離婚すればよかったのに昔はできなかったのか、とか。繰り返し繰り返し愚痴るのは、子供(孫?)に自分の轍を踏ませないようにとの親(祖母?)心だと思っていました。

 しかし、最近定型発達者の感情的報酬について考えていた過程(以前の日記参照)で、ようやく、

「もしかして、おばあちゃんは、「大変だったねぇ、偉かったねぇ」と言ってほしかっただけなのでは!」

と、はたと気がつきました。そういえば、中学校の頃、塾の同期生に「いかに自分の親がひどいか」ということを愚痴られたので、それは大変だ、と「子供の権利」やらなにやらを調べてこれを根拠に抗議するといいよ、と助言したら、ものすごく生温かい目で見られたこともあります。

 彼らは別に、解決策が欲しかったのではなく、そういう環境で耐えている自分は偉いという自己肯定が欲しかっただけなのだと、最近になってようやく気がついたわけです(遅い)。そして、多分解決策を示されたとしても自分から変化を起こすようなタイプでもなかったのでしょう。もちろん相手次第とは思いますが、普通一般の愚痴に対しては、「大変ですねぇ。偉いですねぇ」と言っておけば相手は満足する気がします(たまにくどいのがいるけど)。

 「d:id:koheko:20090617」という記事を見て、そういうことを思い出しました。